2
部屋の外に出ると、そこにはまだ慣れない暗い石畳の廊下が広がっている。
その廊下を進んでいくと、
アレンの目の前に、ひときわ賑やかな大ホールが広がった。
黒い教団の面々が集う大食堂。
そこが今のアレンの目的地だ。
まだ朝早いせいか、食堂はそんなに混んではいない。
アレンは厨房の中で食材の下ごしらえに勤しんでいるジェリーに、にこやかに声をかけた。
「おはよう、ジェリーさん!今日もきれいだね」
「あらぁ、アレンちゃん!貴方こそ今日も素敵だわ。
今朝はアレンちゃんスペシャルを用意したから、思う存分に食べて頂戴ね」
実はジェリーとは、まだほんの数回しか顔を合わせていない。
だが、アレンの可憐な笑顔は、もうすっかり彼を虜にしていた。
ぽっと出の新人エクソシストだというのに、
厨房長の彼にスペシャルメニューを用意させるなど、教団内では大騒ぎだ。
あっという間にアレンは教団内の噂の的となり、
今度の新人はかなりのツワモノだと評判になっていた。
通常五〜六人は余裕で座れる大きなテーブルの上に、
アレンの朝食は所せましと用意された。
「いっただきまぁ〜す!」
次から次へと食べ物を口の中に詰め込むアレンの姿は、嫌でも目に付く。
だが、その後ろで、不機嫌そうな目つきで彼を睨みつけている人物がいた。
長い黒髪を頭の上で一つに束ね、目の前の日本蕎麦をただ黙々と頬張っている。
昨日任務から帰ってきたばかりだというその人物は、
確か『神田』……と、言っていただろうか。
教団の案内をしてくれたリナリーが、彼のことは後で紹介すると言いながら、
結局は紹介してもらえなかった事を思う出す。
あのあと聞いた話では、彼は無愛想で有名らしく、
特に任務を終えた直後は不機嫌なため、
教団内の人間は誰も話しかけないらしい。
どうしてまだ会ったこともない彼のことがそんなに気にかかるのか、
それは当のアレン自身も不思議だった。
「おはよう。アレンくん!」
声の方向に目を向けると、そこには同じエクソシスト仲間のリナリーが
人懐こい笑みを湛えながら立っている。
「あ、おはよう、リナリー。今日もあいかわらず綺麗だね?」
「まぁ、アレンくんったら、口が上なのね?」
「いえ、僕は心に思ったことしか口にしませんよ?
それよりリナリー、朝食まだでしたら、ご一緒にいかがですか?」
「うん。そうさせてもらおうかな」
二人が朝の挨拶を交わす後ろで、
朝食を平らげた神田が、煩さそうに箸を置く。
そして、その場を去ろうと立ち上がった時、
リナリーが思い立ったように神田の方に向き直った。
「あ、神田。そういえば、まだアレンくんを紹介していなかったわね?
こちらはアレン・ウォーカーくん。新しいエクソシストで、私たちの仲間よ?」
アレンを紹介するリナリーの横で、神田はアレンの方を見ようともしない。
「はじめまして…神田。
僕、アレン・ウォーカーって言います。
これから教団で同じエクソシストとしてお世話になりますので、よろしくお願いします」
アレンはとっておきの笑顔を神田に向ける。
同時に握手をしようと右手を差し出すが、神田はそれをあっさりと無視した。
「チッ…お前が噂のアレンか……」
いかにもその噂が気に入らないといわんばかりの表情で、神田はアレンを一幣した。
それを不服に思ったのか、リナリーがすかさず口を挟む。
「神田! そうじゃないでしょ? まったく、ちゃんと挨拶も出来ないのっ?」
その有無を言わさぬ雰囲気に圧倒されたのか、神田は渋々言葉を濁した。
「ああ……ま、せいぜい任務に励むんだな……」
いかにも気にいらないという形相ではあったが、
アレンはそんな神田の様子などさほど気にかけることもなく、あっさりと受け流した。
「ええ、宜しくお願いします」
さすがに差し出した手を取ってもらえるはずはなく、寂しいその手を静かにもどす。
いつもなら、この手の嫌味は取るに足らないものだった。
その見目の良さと女性に人気があることで、
世の同姓からは尽く嫌味の応酬を受けてきたからだ。
普段は人目に晒すことのない左手を目にした時など、
まるで化け物でも見るような顔で逃げていく。
かろうじて好意的に接してくる男は、セクハラ目的の輩ぐらいだ。
今更そんな嫌味一つぐらいに反応するような、柔な神経ではない。
アレンの笑顔はその心情とは裏腹に、崩れを知らない筋金入りだった。
だが、不思議と目の前の青年に拒否された瞬間、
アレンの中で何ともいえない不快感が生まれていた。
それがそのまま表情に出ていて、
アレンは悲しそうな笑顔をして神田の前に佇んでいたのだった。
その仕草が気に入らないとでも言いたそうに、神田は顔を歪めたが
あえて憎まれ口を利くことも無く、黙ってその場を後にした。
「ごめんなさいねアレンくん、神田はもともとああいう無愛想なタイプなの。
教団の中には、時々ああいう人もいるからあまり気にしないでね。
まぁ、彼は特別なんだけど……」
そう言ってリナリーは苦笑いを浮かべる。
「いいえ、大丈夫です。僕、そういうのには慣れてますから」
「え?慣れてるって……アレンくんみたいな人に、
あんな失礼な態度を取る人なんているの?」
「ほら、だって僕、見た目こんなですから……」
ふとアレンの口を付いて出た言葉に、
リナリーは意味がわからないとでも言う様に小首をかしげた。
アレンも自分が言った台詞が可笑しくて、思わず苦笑いを浮かべる。
―――― 結局、見た目が良くても悪くても、嫌味を言われるのは同じかぁ……。
世の中の理不尽さを今更ながらに感じてしまう。
人間という生き物は、如何せん異質なものを嫌う。
良すぎても悪すぎても勘に触る。
ある一定の許容範囲があって、そこに属さないものは、嫌悪感を抱かれるのだ。
「僕みたいなタイプは、男性からは嫌われるんですよ」
「へぇ、そうなんだ。なんか、男の人って良くわからないなぁ」
「リナリーは、目の前に男の人にモテモテの、とびきりの美人がいたらどう思います?」
「う〜ん、それはそれでちょっとだけムカつくかも…」
「別に僕がそうだという訳じゃありませんが、それに似た現象だというだけですよ」
「ふぅん、そっかぁ……」
リナリーはやや不思議そうにしながらも、アレンの台詞を何となく理解したようだった。
朝食をリナリーと一緒に済ませたアレンは、コムイに呼ばれて彼の部屋へと赴いた。
そこには、あの神田ユウの姿もあった。
――― やっぱり今日はツイてない。
神田の不機嫌そうな表情を見て、アレンは心の中で大きな溜息をついた。
神田は3〜4人がけの大き目のソファーに腰掛けていたが、
アレンを横目で見ただけでそっぽをむく。
アレンが軽く会釈をして隣に腰掛けると、
それを待っていたかのように、コムイが今回の任務の話をしだした。
「……というわけで、今回の任務には神田くんとアレンくん、二人ペアで行ってもらうよ?
まさかもう仲が悪くなっちゃったとか言わないでしょ?
アレン君はエクソシストとして登録されてからは初の任務になるわけだから、
神田くんが先輩としてちゃんと教えてあげなくちゃ駄目だよ?」
「ちっ……面倒臭ぇ」
「神田、よろしくお願いしますね」
いきなりの初任務の相手が彼だと聞いて、アレンは複雑な心境だった。
単に相手に毛嫌いされているからとか、
ペアを組みにくそうな相手だからというのではない。
ざわざわと胸の中で何かが騒ぐのだ。
だがそれが何なのかなんて解りはしない。
「おい、行くぞ新入り!」
「あの、新入りではなくて『アレン』っていう名前があるんですが」
「あ? 何言ってんだお前。この仕事はいつ死ぬかわかんねぇんだ。
いちいち死ぬかもしれない奴の名前なんて覚えてられっかよ」
「じゃあ、死ななかったら、ちゃんと名前で呼んでもらえますか?」
「ああ……生きてりゃあな」
そんな些細なやり取りでさえ、ふしぎと胸の中がざわつく。
そういえば、こんなやり取りが前にも会った。
けど、神田が自分を呼ぶときには他にちゃんとあだ名があって、そう、確か……。
考えようとすると、頭の芯がつきりと痛む。
何かを覚えている。
忘れてはいけない大切な何かを忘れてしまっている気がした。
アレンはそう感じながらも、それが何であるのか思い出せずにいた。
現地へと向かう汽車の中、神田は黙って流れていく車窓の外を眺めていた。
アレンはそんな神田をただ黙って見つめていた。
東洋の人間は珍しくは無いが、ここまで綺麗な顔立ちをした人間はそうはいない。
リナリーも可愛いが、こと顔立ちに関してだけ言えば、
目の前の神田の方がよほど綺麗と言って良い。
艶やかな長い黒髪も、薄い象牙色をしたきめ細かい肌も、
性格さえ悪くなければ文句の付け所がないぐらいだ。
素敵だとか、可愛いとか、色々な賛辞を受けなれた自分でさえ、
彼の前では霞んでしまうだろうと思えた。
そんな神田の黒髪に触れてみたいと思う。
きっとしなやかで手触りが良いのだろうと想像していると、
いつだったか彼の髪に触れた覚えがあるような気がする。
いや、髪だけではない。均整の取れた固い胸板とか、
大きく柔らかい掌とか、思いのほか暖かい唇とか。
いつだったか、その唇に触れた気がする。
いや、確かに触れていた。
数え切れないほどに、何度も、何度も……
いつの間にか不埒な想像に駆られている自分に気がついて、アレンは顔を赤らめる。
そして、それを打ち消すかのように大きく頭を振った。
一人で顔を赤らめたり、頭を振ったり、理解不能な行動をしているアレンを見て、
神田はあからさまに怪訝そうな顔をした。
「お前、気持ち悪ぃぞ? 今朝、何か変なもんでも喰ったか?
まぁ、あんだけの量喰えば、具合も悪くなりそうなもんだがな」
「い、いえっ、そんなことないですっ!」
いきなり神田に声を掛けられて、アレンは益々その顔の赤みを増した。
これでは自分がいかがわしい想像をしていたのが、ばればれではないか。
アレンは居た堪れなくなって席を離れようと思い立った。
「あ、あのっ、僕、ちょっとのぼせちゃったみたいなんで、頭冷やしてきます」
「……好きにしろ」
神田の冷たい視線に促されるように、アレンは席を立ち、列車のデッキへと向かった。
まるで自分がやましいことでもしでかしているかのようで、罪悪感が拭えない。
アレンは何か悪いものを吐き出してしまいたいような衝動に駆られ、
ドアを開け放ち外の冷たい空気を全身に浴びた。
人通りがないのをいいことに、デッキにしゃがみ込んでは蒸気した頬を両手で押さえる。
なぜ今日出会ったばかりの青年にこんな感情を抱いてしまうのか。
ましてや相手は男だ。
女の子のリナリー相手ならまだしも、
同性愛手に変な感覚を抱いてしまうのは、自分がどうかしてしまったのかと思うしかない。
だが確かにアレンは知っていた。
神田の吐息、肌の感触、唇の温もりを。
「僕、本当にどうかしちゃったんじゃないかな」
未だ冷め遣らぬ頬を鎮めようと、車内のレストルームへと向う。
その鏡に映った綺麗な姿の自分を見つめ、アレンは再び奇妙な違和感に襲われた。
やっぱり違う。
自分の髪はこんなにも綺麗だったか?
顔だって、傷一つないこんなに綺麗な肌じゃなかったはずだ。
老人の如き白い髪、醜い呪われた額のペンタクル。
夢で見たあれは確かに自分の姿だった。
少なくとも今の綺麗な顔は、本当の自分の姿ではない。
そう確信にも似た感覚があった。
ぼんやりと霞む記憶の陰から、神田の姿が浮かびあがる。
その影はアレンを背後から抱きしめ、首筋に妖しげなキスを落とした。
ゆっくりと片手をシャツの中へ滑り込ませると、もう片手で金茶色の髪を掻きあげる。
「……カンダ……」
アレンは熱い吐息を漏らした。
次の瞬間、鏡の中のアレンの姿は、今まで映していたものとは別の姿を映し出した。
そう、夢の中で見た、銀白色の髪と呪われた醜い傷を……。
─ガシャン。
大きな音を立て、目の前の鏡が大きくひび割れる。
次の瞬間、アレンの記憶が蘇った。
頭の中の霧が晴れ、長い長い映画が超高速で映し出されるように、
全てを思い出したのだ。
「うわぁぁぁ!」
あまりの衝撃にアレンは己の頭を抱え込んだままその場に座り込んだ。
ガンガンという激しい頭痛と、いいようのない吐き気に襲われ、
堪えきれずにその場で胃液を吐き出す。
現実と虚空の狭間で取り残された残骸のように、アレンはその場で身動き取れず、
ただ呆然としていた。
「一体、これは……どうしたっていうんだ?」
自分が本当の自分でない事実。
覚えのない過去。
恋人が自分の恋人ではなくなっている悲劇。
「僕は、何ていうことをしてしまったんだ。今の僕は本当の僕じゃないのに……」
そして、今の神田も自分を愛してくれた彼ではない。
彼にとって、今の自分は全くの他人。
不可解な新人エクソシスト。
恋人同士であったことすら覚えてはいない。
「……神田……」
アレンは思い出してしまった事実に蒼ざめ、両手で自分の身体を抱え込んだ。
ほんの気まぐれから、アレンは取り返しの付かないことをしてしまったのだ。
あろうことか他人のイノセンスの力で、過去を変えてしまった。
一度変えてしまった過去は、二度と違える事は出来ない。
それが力を使うときの条件だった。
だとすると、自分はもう二度と神田に触れることは出来ないのか。
アレンはショックと哀しみのあまり、大粒の涙を幾重にも流し続けた。
《あとがき》
いかがですか?
これからもまだまだ切ない二人の恋と
不思議な運命のいたずらは続きますw
これからサクサクとUPしていく予定ですので、
つづきも楽しみにしていらして下さいね〜ヽ(*'0'*)ツ
NEXT⇒
BACK